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人生足跡・・・青春期・・・(7)アルバイト人生・・・始まった!

当時のアパート代は1畳1,000円程度か、お世話に成ってる方への部屋代は毎月3,000円。

これは毎月母親が送金し相手に払ってくれていた、光熱費等もこの中に、私は月6,000円。

仕送りは現金書留か、米、雑貨などの小包に忍ばせて入って居る、だが保証は無く空も有る。

この枠で苦しくとも生活しなければならない、余裕有って上京したのでも無く覚悟はしてた。

食事は自炊、米を朝1回炊き夕食まで確保する、オカズは殆どメンチカツ、当時10円程度。

当時の味噌汁は欠かさない、私の得意で同居人も美味いと褒めてくれた、これ母親の伝授で有る。

近くの市場でキャベツ、モヤシ、ピーマン購入するが、当時の市場の人達学生には親切である。

金が無いと売れ残りの野菜、豆腐を安く分けて呉れた、食事代は左程掛らないが困った事に、

喫茶店に行く事多かった、薄暗くカビ臭い地下の喫茶店、クラッシックを聴くのが楽しみで通う。

当時はタバコ代と同じ40円、これが毎日だと金も底を突く、考えれば学生には贅沢嗜好で有る。

冬休み目前、金欠病にうなされ何とかし無ければと、同居している先輩に仕事探しを依頼する。

二人の親類に映画会社の宣伝マンが居た、何とか相談に乗ってもらい、東京での初仕事。

映画のフイルム、乾板の配達である、結構このアルバイトは日当も高めの設定だったと思う。

条件はキツイ、上映時間前に間に合わせる為、1軒の上映時間が遅れれば次の映画館に影響が出る。

責任重大だがその辺は慣れている、素早いのが取り柄、時には映写室で巻戻し冷却作業手伝った。

仕事先は大井競馬場、とは言えコンクリートの塊の建屋、鉄の扉も重くヒンヤリしている。

当時のフイルム燃焼早く危険物、コンクリートの部屋にはフイルムの乾板が山積、圧倒さた。

私の役目は「ローマの休日」持ち込み専門、親戚の紹介での役得、条件の良いアルバイトで有る。

乾板はブリキ製、ズック袋に全巻13本、重量50kgぐらい、高さ80cm有ったと記憶する。

これが結構重く、歩く所は大井駅の地下道、距離が有る、時間は厳守、時には走って担ぐ。

学ラン姿でこのフイルムを山手線、銀座、池袋、新宿、渋谷、それぞれ上映に合わせ持ちまわる。

上映中はその場で待機せねばならない決まり、要領良く大学近くの池袋では抜けだし授業にも出る。

朝8時から夜11時までの配送・引き取り、きつい労働時間だが、上映中は時間が取れる。

本来映画大好き人間、見放題だが、さすが同じ「ローマーの休日」ばかりでは見飽きてしまう。

成れると特権が、他の映画も見る事出来る、真剣に見過ぎ、時には走って回収、駆けずり廻る。

こんな良いアルバイトは滅多に無い、そんな1年生の冬休み、帰省も出来ずアルバイトに精を出す。

年が明け、衝撃的な出来事が私の人生を変えて行くので有る。




人生足跡・・・青春期・・・(6)長男だったと思ったが・・・

この頃かお酒がメッポウ強くなる。

高校時代はビール1杯でもフラフラに、台所の隅で赤玉ポートワインを盗み飲み、顔にも出るが、

ばれる事は当り前であるが何故か口当たりも良く両親不在の折はチョクチョク試飲した。

バンカラの校風故、先輩の付き合いは断れない、酒の量は日増し増える日々多し、

1回生は焼酎で、先輩4回生は日本酒1級、その下2級ときまってる、これここのルール成り。

飲むより流し込み、酷い時には1升瓶をラッパで、俗に言う一揆飲み、裏でこっそり吐き戻す。

それが続けば慣れて来てドンドン酒の飲み方伝授され何時しかお酒も強くなる、これ未熟な1回生。

住まいは変わらず中野に投宿、暫くすれば引っ越しすると言ってたが2人の住人そのままで良いと、

結構気に入られ、時には彼らも早く帰宅すれば銀座・新橋・渋谷と飲み所にも付いて行く。

この人達のお付き合いは大人の世界、学ランでは不釣り合い、雰囲気からやがて背広も欲しく成る。

秋半ば私にとっての転換期、とは言えどあまり関係ないが私は長男だ、姉に婿養子?考えられない。

松江の店も軌道に乗っての婿取りか、ここでどう言う経緯か知る由も無いが、結婚話は決まっていた。

私の存在そんな物、、馬鹿臭くて何も感じないまま、この都心で酒の量は増えて行く。

そう言えばこの頃だ、気の短さが極端に現れ、酒を飲めば絡み酒、ついでに喧嘩も多くなる。

性格ドンドン変わって行く、短気は損機解るけど、ヤケクソついでに生活の乱れも進行する。

食事代より飲み代増え、金は無くとも飲む事には事欠かさない、良い先輩が付いていた。

学友、先輩との飲み会は学ランで、同居人?の先輩との夜遊びではこの姿は様に成らない。

丁度良い機会、仕方無しの披露宴で松江へ、上京途中実家に寄り、母親に無理難題で作らした。

養子婿取りの私の心情も察しの上か、母親は何も言わず実家近くのテーラーへ連れて行く。

勿論オーダーメイド、当時ファッション感覚は勉強進行中、2人に感化されたそのせいか、

3つボタンに丈短目、サイドカットに裏地無し、丁度アイビールックかミユキ族が流行る前だった。

洋装店の主人も見た事も無いデザイン、責任持てないと困り顔だが、そんなことはお構い無く、

出来上りは当時奈良では見かけないカッコ良い背広の出来上りと成る。

ネクタイはこの二人結構お洒落で数多く持っていた、好きなもの使えと毎回取り換えして呉れた。

この頃にファッションの知識も習得、昼と夜は別人、バンカラと遊び人、適当人生始まった。

渋谷・銀座夜の街はこの背広、学校は勿論学ラン、近場で焼酎、渋谷ではブランデー、極端だ。

遊びに長けると金が無い、金が無いと足が向くのが新宿西口、俗名ションベン長屋と言っている。

汚らしいガード下側面、ここは食事所と居酒屋長屋、安くてうまいが異様な匂いで酷過ぎる。

油の廻った天ぷらをタレにドブ浸け、飯に被せる、安くて美味い天丼だ!

酒は焼酎、金が無ければ爆弾を、こ奴色々なアルコールが入って居て兎に角きつい酒で有る。

この爆弾、キャバレー、飲み屋街の残り物をブレンドした特注お酒、荒んだ生き方には最高の酒!

つまみはホルモン、煮込みに豆腐入り混ざり、ネギタップリで汚いアルミ皿、それもボコボコ変形、

馴染みに成ると若干量も増して呉れる、汚い止り木に座って飲むのだが、この時は勿論学ラン姿!

当時の学ラン姿は厳い、巷で眼を飛ばす奴も無く、こちらの目付は鋭く闊歩した事想い出す。

昔を懐かしみ今一度行ってみたい場所の一つに入って居る事、間違い無い。

やがて冬休み、帰郷など考える事の無い一回生、そう言えば金が無い事に気が付いた。

人生足跡・・・青春期・・・(5)大学生活の始まり・・・

晴れて入学式、沢山の父兄同伴で学内は一杯、圧倒される私である。

大学の入学も、高校の入学式と変わらず、父兄の数の多い事、この連中が後々のバンカラか?

この大学は殆ど男子と思いきや、ちらほら女学生も見える不思議な光景がそこに有る。

大学入学くらい一人で来いや、僻み混じりで考えるが知った人間は誰も居なく寂しい入学式だ。

下校時茗荷谷駅前でやはり一人で帰る学生が居た、早速声を掛け喫茶店で話し込む。

九州佐賀県出身とか、喫茶店で他の学生達共気が合い当日で5人程学友が増える。

高校時代と違う生き方をしよう、友を選ぶには少し真面目そうが良いかな、とも考えるが。

入学当日だ、それぞれの生き方も性格もまだ解らないまま、私の友達選びは始まった。

話し込めば沖縄出身、鹿児島、秋田、北海道、それぞれ違う方言にも戸惑うが、すぐに慣れた。

真面目そうなのは最初だけ、中にはパチンコにのめり込む奴、麻雀を誘う者、どんどん変る。

当時の私は無口だが、なぜか皆に好かれて行く、まじめな友達は最初だけだった。

何事にものぼせ易い私、早速麻雀仲間が増えて行く、毎夜毎夜麻雀必勝本を乱読する自分が居た。

住まいは中野、時にはこの友達の下宿へ泊まり歩く事も有り、高円寺、野方、何時しか地理も覚え、

学生生活は順調に始まった、校内で有る時突然顎を殴られ、初めて見る先輩、突然の殴打で吃驚。

私の面構え、顎の強さに早速部活の勧誘で有る、今流の看板立てての勧誘も少なかった。

この先輩はボクシング部、手荒い入部勧誘で有る、顎に一発、根性と倒れ方を見定めて居る。

当時の私は目付も鋭く物怖じせず先方を見る癖が有る、俗に言う眼を飛ばすと言う事だ。

私の通う大学は上下社会が出来上がり、先輩に楯つく事など出来無い異様な雰囲気が有る。

私は一発で気に入られたが、先輩の鼻を見るとひん曲がっている、こんな姿は御免で有る。

嘘でも言ってやれ、もうすでに部活は決めている、空手部に入る事を告げたがこれが失敗。

先輩の中に空手部員も一緒に居たとは知ら何だ、こうして又々武道の世界に入り込む。

練習は唯もので無い、当時は全国制覇、知名度は知れ渡っており練習は想像を絶する。

夏に入ればバイトする者、帰省する者それぞれだが私は金が無い、合宿は理由付けて不参加。

母親の勧めで帰省する事にした。

帰省しても歓迎は2日程度、する事も無い、働く事には慣れてるが自宅の手伝いでは金に成らない。

やがて大阪の家電メーカー「八欧電機」へバイトに行く、確かゼネラルと言ってた記憶が有る。

「当時の日給は800円程度」仕事は商品集荷、荷作りはお手の物、年期が入って居る。

ここで当時の物価も書いておこう、確かタバコが40円、これはショートピースの価格だが、

私は高級たばこは勿論吸え無い、「新生」と言う20本入りで40円、二日は持ってたと記憶する。

コーヒーが40円程度か、贅沢にも喫茶店は毎日欠かす事が無い、雰囲気が好きだから!

話は逸れたが、時には商品配達に同行、ステレオの配達・設置は特に楽しい仕事でも有った。

御客さんの自宅で初めて聴くステレオの音声、夢中になる事当り前で有る。

晩年音楽にのめり込むキッカケはこのステレオに添付されてる2枚のドーナツ盤。

1枚目は初めて聞いた曲「二つのギター」そして「ボレロ」今でも鮮明に覚えている。

この二つの曲が後々の私の音楽の趣味に成るとは、今もこのメロディーが想いに残る。




人生足跡・・・青春期・・・(4)憧れの東京生活始まった・・・

国鉄奈良駅から夜行列車に乗り念願の故郷を後に、旅立ちの夜がやって来た。

当時の夜行列車は「急行大和」、そして日中運行して居たのが急行「いこま」である。

奈良を旅立つには夜行列車が便利である、夜8時国鉄奈良駅に両親が見送って呉れた。

学友の見送りは勿論無い、卒業以前から東京行きの話し等しなかった。

母親の横に父親が居る、めったにかまってくれない親父が見送りに来ているが何も語らない。

列車のデッキに乗り込んだ私に、只一言、体には気お付けよ、久々に聴く優しい言葉である。

出発真近、親父の横顔に寂しさが有った事を鮮明に覚えて居る、そして目が潤んでいた。

東京での投宿は中野である、駅には見知らぬ二人が出迎えてくれた。

松江の店に勤めて居る社員の弟ともう一人、二人は中野のアパートで従兄同士で住んでいた。

下宿を探すまでの一時投宿での仮住まい、部屋は4畳半だが二人共気持ち良く受け入れて呉れた。

迎えの車はセドリック、黒塗りの高級車で座席にはアイロンの掛った白いシート、座るにも恐る恐る。

この二人、どうやら大手の役員専用車の運転手をしているらしい、服装はお洒落で背広が良く似合う。

中野のアパートにはもう1台、これもセドリック、ピカピカに磨きの掛った高級車が有る。

その夜は私の歓迎会、向かった先は新橋でここに中華料理店が有る、「世界」と看板が掛けられ、

ここの餃子が最高に美味い、具から浸み出る肉汁、今でも鮮明に覚えて居る。

続いて渋谷、インデイラと言うパブだろう、ここで初めてのブランデー、まだ未成年だが、

薄暗いカウンターの止り木で、大きなワイングラスの琥珀色、初めての雰囲気に圧倒され、

この二人、当時22歳とか、結構遊びに長けていて、感化されそうな私がそこに居た。

到着1日目にしてこうである、観る物すべてが新鮮に映り、東京での遊び人の第1歩が始まった。

人生足跡・・・青春期・・・(3)新たなる人生の旅立ち・・・

高校最後の1年間、恋に落ち込み迷いも出たが、勉学の遅れは一時凌ぎでは不可能だ。

本当は大学なんてどうでも良い、母親には内緒だが船乗りに成ろうと心の中で決めていた。

密かに船舶関係の書籍を買い、航海士の書類を取り寄せ乱読していた。

商船大学なんて不可能、日夜受験勉強よりも航海士の資格を得る為の勉強もしていた。

夢は将来に向かい、航海日誌の書物を乱読、勝手に海外へ独り歩きの空想をして楽しんでいた。

何処で分かったのか母親から責められた事が有る、それだけは辞めて欲しいと怒った母親の顔。

親父が満州へ渡り、挙句シベリヤ送り、満州から引き揚げた苦労、嫌な思いが母親には有るのか。

頑として受け入れて貰えなかったが、大学を出れば海外へ行っても良いとの約束を得、

こんな簡単な事で1時的にも船乗り希望は保留にし、取りあえず大学受験を選択する事に成る。

半ばヤケクソも手伝い、受験校はまず関西以東へ受けてやろう、勝手に決め込むので有る。

目的は只一つ、この奈良から出来るだけ遠くへ行ければそれで良い、丁稚奉公の終焉の為ならば!

卒業間近に希望の受験校は決めていた、ここが又私の一人善がり、自信と能力は反比例で有る。

担任の教師の忠告は聞く耳持たず不可能に近い受験校を勝手に決め込んで3校受験する事にした。

国鉄奈良駅から夜行列車「急行大和」に乗って意気揚々と、夢は膨らみ、東京へと向かう。

早朝東京駅で初めて入った朝風呂、今はどうか知らないが、当時東京駅中に風呂が有った。

夜行列車では顔一面ススだらけ、洗面所は立込み、親切な人が風呂が有るよと教えてくれた。

山手線の渋谷駅、駅に降り立つと何処からかカレーの匂い、自然と足が向かう、初めての都会の味。

東京での独り歩きは不安も無い、幼い頃から大阪、松江と手伝いで行かされ一人旅は慣れている。

受験は10日程、親戚の家や、先輩のアパートと、だがアパートは狭く、次はホテルでの宿泊へ、

だが金が無い、安いホテルが渋谷に近い祐天寺に有ったのだが、連れ込みホテルとは知らなんだ!

先輩の紹介とは言え、気後れもしたが値段が安い、其れに受験生と言う事も手伝って格安料金だ。

夜遅くまで参考書を読むのだが、場所がら勉強など出来っこ無い、何事においても初体験である。

半ば強引な受験、結果は解っていた、尽く桜散るのハガキ、嫌になるがここで落ち込まないのが私。

またたく間に英知を働らかせ、滑り止めに拓大の二次受験を考えここは上手に乗り越える。

恩師の親しい生活指導の女性教師、私は弱みを握っていた、東京から帰るなり相談に行く。

卒業式は目前に迫り、無事平穏に済ませたい学校側と私、どうにか学長に面談を取り付け、

最期の選択肢の推薦入学を勝ち取るのだ、卒業式の当日前後私は拓大で簡単な試験と面接を受けた。

面接時滔々と語った記憶が有る、海外へ雄飛する夢多き事、当時の面接は夢を語ればそれで良い!

夢の話だが、ブラジルへ渡り肥料会社を作りたい、結構出鱈目でも有り、半ば真剣に語った物だ。

卒業式は母親だけが出席、名前を呼ばれても当人は居ない、後々まで寂しかったと言っていた。

こうしてどうにか大学へは無事入学を果たすのだが、晩年、裏話を知る事に成ろうとは、

私の結婚式に出席して呉れた恩師がそっと私にこの裏話を語って呉れた事が有る。

実は裏で母親が両教師に日参し頼みに行って呉れたらしいが、私は知る由も無い。

今は亡き両教師には過分なる迷惑をかけたが、同窓会の折、良く可愛がって頂いた思いが残る。

ヤンチャ者だからこそ、色々な思いが有ったのかもしれないが、想い出を沢山残した高校を後に、

迷惑の掛けどうしの人生は終焉、新たなる人生の旅立がそこに待っていた。
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パイプのジョニー

Author:パイプのジョニー
植木屋 作庭家のおやっさんのつぶやきブログです。コメントご自由にどうぞっ。

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