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人生足跡・・・青年期・・・(1)晴れて成人式を迎えたが・・・

稼ぐ方法が又増えた、年末近くはお歳暮シーズン、活況時期、先の食糧店での配送荷作りに精を出す。

この商社、本社は神戸に有るのだが、日本橋支店は従業員僅か3名、夏のバイトで仕事にも慣れた事。

慣れると面白い事も考える、輸入缶詰、洋酒等色々な酒品を扱っていた、特に缶詰は不良品も沢山出る。

作業が荒くなるとどうしても凹みが出て来る、これをペコ缶と言う、この商品返品も出来ないそうな。

時には御褒美に頂くのだが、フルーツ缶詰ばかり食べられない、何時しかこの商品を安く分けて貰う。

家業で知恵を頂いた御蔭、このペコ缶を知り合いの喫茶等に売って行く、売る商品が少なければ作るだけ。

作業中に落下させ、こんな商品はデパートへ納入できない、即処分品に回され、これを安く買い求める。

下宿先にはバイトで稼いだ代引き商品が増えて来た、前もって注文を聞いておく、これが結構金に成る。

輸入品の酒類には税務署の納税済みのラベルが貼って有る、こ奴栓を抜かなくても洋酒は飲める。

酒瓶のラベル封を切らず上手に割る、キャップ付のラベルを持ち帰り仕入先に持って行けば交換可能。

御徒町の輸入商社に持って行き新しい洋酒と交換するのも、何時しか私の仕事に成って居た。

深夜遅くまでの箱詰め作業、寒い夜はこの洋酒を飲みながら仕事に励む、楽しかった日々が懐かしい。

時には、前もって準備した別容器に移し替え、下宿先に持ち帰る事も忘れない。

何時しか御徒町に出向く日々も多くなり、ここで又新たな出来事に遭遇する。

アルバイト先の支店長、度々この商社に出這入りしているのを目撃、目的は仕事で無さそう!

賭けマージャンに高じて居たのだ、聞く所ここの麻雀、賭け率は高倍率、二階の奥には内鍵もして居る。

早い話違法賭博、何事にものぼせる私だが、手を出さない筈も無い、何時しかここへ、度々顔を出す。

これが又間違いの元に成ろうとは、この時点では気が付かない。

のめり込むと始末に負えない性格、ドンドンのめり込み、やがて借金も増えるが、これが又楽しい!

日夜研究に励む、勿論麻雀修行である、安上がりのテクニック、回し打ちも覚えて来た。

年の瀬も迫った頃には御徒町から新橋、得意先の麻雀仲間に私も参入、この時点で負ける私では無い。

ハングリー精神が役に立つ、この精神は私の活力源、負ければ飯も食えない、そんな時代でも有った。

何時しか麻雀のテクニックも身に付、勝算我に有り、アルバイトは二の次、連日連夜麻雀に高じて居た。

時には取り締まりに遭遇した事も、冷や汗をかく事も有ったが、逃げ足は得意、捕まった記憶も無い。

正月前、久しぶりに故郷へ、土産はペコ缶、洋物のクッキー、紅茶、沢山の品を携え帰って行く。

奈良での平穏な日々、元旦生まれの私だが、考えれば私には誕生日は有る訳無し、言葉では目出度い奴と、

その一言で終えるのが、幼い頃よりの恒例でも有った。

唯この帰郷には意味が有ったのだが、何故だろう! この年の正月、成人式を目前に控えていたが、

期待と裏腹に私には何の変化も起こらない、三ヶ日を過ぎたある日、夜行列車に乗って居る私がいた。
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人生足跡・・・青春期・・・(11)世間ではオリンピック・・・私の心は暗かった!

突然母が上京、オリンピック見学とか、理由付けは後々悟るのだが!

入場券2枚、1枚目は私の好きなバスケット、そして母親の大好きな水泳競技の入場券携えて居た。

保険の外交員で頑張る母親、前々から購入していたとか、開催入場券は買えなかったがと謝って居る。

目的はオリンピックでは無さそう、理由付けての上京と分かる、下宿先の家賃滞納、生活の困窮等、

母親の目で確かめ様との思いか、親父にはオリンピック見学と言ってるらしい。

取りあえずオリンピック見学、母親と代々木まで行くのだが、会場は別々、あまり感動した記憶も無い。

その後の滞在は、まず部屋の掃除、洗濯物の片付け、一番のプレゼントが滞納していた下宿代の清算。

久しぶりの味噌汁の味、ついでに炊飯器まで買ってくれる、この5日間、上京して以来最高の日々に成る。

東京駅で母親を見送り、そのまま一緒に帰奈したいと、故郷への望郷が涙と共に鮮明に想い出された。

それまで故郷へは帰りたいとも思わなかったが、この時ばかりは何故だろう、母は強し、優しすぎた。

色々な、出来事の多かった学生時代、故郷へ寄りつかない私にせめてもの気持を携えての上京なのか、

母親が帰奈した頃から、塞ぎ込む事の多い日々、深夜遅くまで酒を浴び、身も心も荒れて行く。

学友との名目コンパの連ちゃんと、近場の居酒屋で連夜遅くまで一人酒を飲む事も多くなる。

飲めば絡み酒、連夜の深酒で風邪も引き易い、後々肺と肝臓を患う事に、この頃まだ悟って居ない。

その頃からか、行きつけの店も数多く増え、その中でも唯つ身体を癒せる店が有る。

戸塚交差点の2軒目に「緑園」なる喫茶、ここが私の居場所、何時しか縄張りに成って居た。

この喫茶は終日営業、パチンコの途中休憩もこの場を、バイトの無い頃はここでも寝る。

米が切れれば、モーニングから昼食、夜食までこの喫茶、支払い出来ねばツケで有る。

ここのマスター台湾人、店でのトラブル結構有るが私が仲介に入り、もめ事なんぞは起こさせない。

私の気性は熟知の上、金が無くとも気長にツケを許して呉れた、毎日伝票は溜まって行くが感謝で有る。

パチンコで稼ぐ私、何時しか下宿の同輩達、腹が減ればここで済ます事も、勿論私のツケで有る。

卒業まで続くこの喫茶、何時しかこの席は私の指定席、込んでいても誰もこの席に座ら無い、座らせ無い!

パチンコの腕も上げ、半ばパチプロ、稼ぎは半端で無い、パチンコは何時も長靴、晴れでもスタイル同じ。

立ち通しのパチンコは足が疲れ下駄では無理、何時しかこのスタイル、皆が認める私のファッション。

次第に従業員とも仲良くなり、玉詰まりでいちいち台を開かずとも、従業員専用の針金を預かる事に、

詰まった玉を引き出すのは、この針金を小さな穴に差し込み後ろのバネガを押し簡単に治すので有る。

当初は難癖を付け台を叩く、蹴る、ついでにガラスも割る、手に負えないが、従業員私には手も出せない。

私の周囲は兵ばかり、パチンコ店の店長代わっても私には関係ない、そんな事でこの道具を与えられる。

銭湯に行くと店員とも良く顔を合わす、夜は彼らを引き連れ赤ちょうちんで酒を奢る。

飲んだ勢いで、釘師の情報を盗み聞きする事も、御蔭で結構打ち止め、連日連夜稼ぐので有る。

定休日には我が下宿を尋ねて来る者まで居た、今の時代では考えられない。

気風の良いのが私、金が無ければ貸してやる、無ければどうにかして稼ぐ、こんな時期が結構長く事に。

当時のパチンコは現金では貰えない、すべてタバコと交換、こいつを現金に換えるのだ!

喫茶店はツケと相殺、路地裏のスナックのマスター達に、他より高く買って貰い生活費にも充て込んだ。

何時しか童顔の学生らしさも消えうせ、高田の馬場の街角で、肩で風切る私が居た。

人生足跡・・・青春期・・・(10)予想通りの家業倒産、ますます困窮!

春が過ぎ梅雨明けか、自宅から送金が減ってくる、母親から送られて来るのは小包ばかり。

お米、インスタントラーメン、洗剤、そして下着、茶封筒に3,000円入って居る、下宿代にも困る。

何が有ったか想像はしていたが、この時期、松江の店も閉鎖とか、自宅の事業も苦しい事を知る。

一年程前からか、母親が保険外交員に戻って居ると聞いた時、すでに私は感じていた。

実家の商売多少危惧する事も有ったが、すでに私は長男でも無く、家業なんて無関心。

事業の失敗は上の姉の放漫経営、売上殆ど新生活に廻り贅沢が当り前、親父の過保護の産物で有る。

母親の収入は殆ど借金の返済とか、当然私への仕送りも少なくなり、何時しか小包ばかりが届く、

滞納の授業料こっそり振込んでくれた母親、この事が私の学業放棄を否締めて呉れた事は事実で有る。

その後、義理の兄と姉は奈良へ帰り、商売を継続していた様だが、親父との意見も合わず溝は深まり、

何時しか親父の商売から手を離れ、この夫婦は大阪で生活して居ると聞く、そしてその後、離婚とか、

私を無視した後継ぎ騒動も終焉迎え、簡単な短いドラマを作っていた。

この頃の私と言えば生活は益々困窮、食事は時に2日置き、これ当り前、生活もドンドン荒れて行く。

バイトで日銭稼ぎ、学業は休む訳にも行かない、最悪は試験時期、稼ぎが無い、空腹は仕方ない!

時には下宿の同輩と小銭を集め食パンの蔕を買いに行く、下宿先の街角にパン屋が有り、

早朝サンドイッチを作って居るのだが、この蔕が安く手に入る、10円出せば大きな袋に沢山入り、

一部は乾燥砂糖を塗し保存食、味噌汁にこの蔕を入れ一時の空腹しのぎ、定番の食事が継続して居た。

時にはサンドイッチの具のネタが入って居る事も有、奥さんに昨日のパンの蔕にゆで卵の白身が有った、

この一言から、パン屋のオヤジの目を盗み、こっそりゆで卵を1個そのまま入れて呉れる奥さんが居た。

忘れてならない感謝の気持ち、心配りの奥さんの優しさは、卒業するまで心の隅に持っている。

新宿界隈はオリンピックムード酣、活気を呈している、この夏のアルバイト、新装ビルの床磨き等、

仕事には困らない、日夜学ランにモップを担ぎ、電動ポリシャー・ワックス等を持って山手線に、

恥ずかしさと、周りの嫌な顔付き等、羞恥心は何処かへ消え去り、平気な顔で新宿、銀座界隈を周る。

仕事先は主に新築の高層ビルの床磨き・ガラス拭き、時には命綱も持たないで外側の窓も拭いて行く。

床磨きは洗剤で洗い、モップで丁寧に拭き取り、乾燥後ワックス掛けてピカピカに磨きあげる。

高層ビルは時に20階建、それでも作業は続いて行く、素足で窓の外に出てガラス、サッシ磨き、

ガラスは上下の上げ下げ仕様、ここに身体を一気に預け表に飛び出る、このスリルがたまらない。

ガラス磨きは磨き粉をバケツに掘りこみ、水に混ぜ、雑巾をその中に付け、ガラスの隅々を濡らす、

乾くまで待機、乾けば仕上げに綺麗な雑巾で磨き込を拭き取る、今流の化学製品クリンビュー等無い、

原始的なこの作業だが、当時は最高のガラス磨きで有ったと想い出す。

サッシはセメントの付着を皮ヘラで落し、ペンギンクリーナーで磨いて行き、出来上がる。

今は補助クレーンも有るが、当時は命綱さえ準備して居ない、思えば危険極まりない仕事だが金に成る。

嫌な思い出は私は腸が弱い、新築ビルの上階ではトイレが無い、小は設備の未完成のパイプに落すが、

大は困ってしまう、下の階まで下りねばならない、エレベーターは動かず、良い方法を聞く事に!

マンション等、風呂場のバスタブは取付して無い所も結構多く、未完成部分で処理をする事にした。

大を済ますと新聞で覆い左官屋からモルタル貰い被せておけ、当時はこれが常識とか、教えて貰う。

当時こんな事は日常茶飯事、後々サラリーマンに成ってもこのマンション眺めながら悦に居る。

私の産物はセメントの中、バスタブの下で化石化か、中央線の車窓にこのマンション群が聳えて見える。

バイトの収入は何時しか酒とパチンコ、女に消え、後々の酒好き、博才好きが育っていく事に、

パチンコは真剣勝負、負けられない勝たないと飯も食え無い、ハングリー精神もついでに芽生えた。

学生で有る事も次第に忘れ、高田の馬場では知る人ぞ知る、私の名前は通って行く!

人生足跡・・・青春期・・・(9)苦難の道のり・・・

明けて2回生春の事、学生課の窓口に1枚の張り紙が掲示されていた。

10名程の名簿に私の名前も書いて有る、授業料半期分の未納者リスト、授業料滞納は慣れていた。

中学、高校と月謝滞納は経験豊富、商売人の息子に生まれ、こんな事には動じない。

いよいよ大学も中退か、諦めの境地で無視する事に、当然部活も休みがち、働く時間が大切成り。

当時の退部、並大抵で無い、俗に言う歓迎退部式待っている、私は幸せ者、こう感じたのもこの頃か、

学生課、よくぞ未納リストを張り出して呉れ、良き先輩を持ち、説明するに及ばず、リンチ無い。

気持ち良く退部を認めて貰う、その頃は学生と言うより労働者、仕事優先の時期で有る。

私の周りは苦学生ばかり、逢えば働き口の紹介、斡旋で仕事は左程苦労無く見つかった。

やっと引越し代を確保した頃、母親が授業料こっそり納めて呉れていた、学生課の通達で知る事に、

引越し先は高田の馬場、友人の下宿の近場、入学式で親しくなった佐賀県人、こいつ結構頼もしい。

例の如く布団袋一つ下げ、中央線から山手線、大きな布団袋を二人で担ぎ簡単な引っ越しと成る。

戸塚交差の裏通り、1軒屋の離れ、3畳1部屋、4,5畳2部屋、6畳間、トイレ洗面所は共用物件。

金も無く3畳間を借りたいが近く入居予約、仕方ない4,5畳を借りることにした、家賃は4,500円。

礼金は2ヵ月、無理難題で不動産の親父に懇願、必死に負けて貰う事にした。

隣の住民、中大生、サラリーマン、そして3畳間に早大生、これが又面白い、サラリーマンを除いて、

連夜酒盛りでの政治談義、癖のある同居人ばかりで、私は右翼、早大生は全学連、中大生は中道と、

このトリオ、度々酒を飲み議論白熱、喧嘩もするが、共通点が只一つ、半端で無い貧乏学生で有る。

金が無ければ隣町の畑までお散歩、大根、ニンジン、野菜等を失敬、ついでに早起き牛乳も頂く。

お米が無い、小銭掻き集め上野でインスタントラーメンのヘタ大量に買い求め3人で分け食いする。

インスタントラーメンの蔕、大きな袋に入り売っている、粉々だが結構食えた、楽しい思い出か。

その頃の私は学業よりも稼ぎブチ、夏休みにはデパートの中元商品の荷作り配送、わけ無い仕事。

夜は上野のキャバレー、ボーイである、これが又楽しい、酔った客にまともなビールは不必要。

飲み残しのビールをドンドン集め詰め替える、女給の合図で泥酔客にはこの再生ビール!

ビール瓶、10円玉をキャップに載せ栓抜きで開ければキャップは痛まない、そしてチンチンに冷やす、

助平な客は簡単成り、目の前で栓抜き使い、再生ビール瓶ポンと音をさせ解らない、美味そうだ。

貯めたビールは売り飛ばす、相当悪い事もした、こんな事が出来た良き時代、今にすれば懐かしい!

母親の気持ち痛く感じ学業は継続、バイトの苦学時代、この時代が今日の私を形成したと・・・

良くなる物か悪く成るのか、苦難の道を歩んでいく。

人生足跡・・・青春期・・・(8)どん底人生スタート始め。

正月明け同居人二人に何が起きたか知る由も無い、突然の事で話も聞けない。

一人の住居人中野を去って行く、狭い部屋に私が同居、それ故の引っ越しかと気を揉んだ、

女性が出来たとか、同棲するとの話で私とすれば一安心、それでも何時かは出て行かねば、

そんな折、自宅から送金が少しずつ遅れて来た、理由は定かでは無いがどうも家業が左前?

そして2月、突然同居人から西荻窪へ引っ越しすると聞かされるが、金も無く途方に暮れる。

事情を察知した同居人、次のアパートへ一緒に行こうと誘ってくれた、引っ越しは布団袋一つ。

お互い左程荷物も無く簡単に作業は終わるが、このアパート西荻窪駅の近場、大学までは程遠い、

新築のこのアパート、ひょっとしてこの人も良い女性が現れるのか気が気で無い。

下宿を探すまでお金を工面しなければ、焦りは有るが金は無い、考える日々が暫く続く。

当時、短期間でのアルバイト色々な事をやって見た、お金に成れば何でも良い、

記憶に残る最悪な仕事、上野での死体処理、その場所は地下室のヒンヤリした仕事場である。

水槽には身元不明の人達を解剖目的で蓄要とか、ホルマリンタップリのプールに一人一人包帯巻かれ、

水面に浮かんでくる死体を長竿で沈め、全体を満遍なくホルマリン漬けにする簡単な作業。

このアルバイトは当時我が校の先輩が好んで?してたらしい、先輩の紹介断る訳にもいかない。

当時のアルバイト料からすれば美味しい仕事でも有ったのだが、人間は時には恐ろしさを忘れ、

成れる事への恐ろしさが日々増してくる事に恐怖を感じ、現実逃避の手段で酒の量も増えて行く。

作業は簡単だが自分の神経の鈍感さが増す恐怖に、気が付けば2ヶ月でこの仕事を辞めていた。

稼いだ金は麻雀、パチンコ、女、酒に消え、下宿先を探す費用等出てこない。

意を決して 帰省する事にした、丁度同居人が車で松江に帰省するとか、同乗する事にする。

車はルノー、カッコいい車だが今姿を見る事も無い、高速道路も発達して無いこの時代、

東海道1号線、箱根を越え長時間かけて辿り着いた先は岐阜の叔母の家、夜半遅くの投宿で有る。

一夜お世話に成り、早速奈良へ向かうのだが、急に帰宅して慌てさせてはと電話する事にした。

幸い親父は松江へ出張とか、これ幸い成るかな、母親一人が待っていた。

事件は翌日我が家で起きた、旅の疲れで二人共熟睡しているが、隣の部屋が騒々しい、母親すかさず、

奈良見物してきたらと勧めるのだが様子がおかしい、何と税務署の執行官、早い話差し押さえ作業中、

知人を招いた翌日に、こんなバカなと思いつつ、奈良公園へ出向くのだが、カメラケースを開けて驚愕。

知人のカメラケース裏側に赤い紙が張って有る、どうやら床の間に置いていたカメラも差し押さえか、

帰宅時、母親税務署へ事情説明、どうにかこの場は無事済んだが、早々にこの知人に説明し松江へ送る。

翌日からが又大変、大阪から来た朝鮮人、罵りながら我が家へ土足で上がって来た、多少ヤンチャナ私、

ここは腹を据え無事引き揚げさせたが、今度は職人10人程がやって来た、賃金の未払いらしい。

今まで優しかった人達も顔つきは変わり、母親一人では対処出来ない、ここも私の出番か、

当時の職人達、私を好いてくれる人も多く久しぶりの再会、私の顔を立て理解してくれる人も居た、

こうして無事この場をしのぎ、親父が帰るまで保留する事に納得してくれるのである。

こう言う状況下、私の生活費など話す機会等全く無く、親父が帰る前に早々諦め上京する事にする。

不渡りを喰らい、空手形を切った親父、この先どうするのか、松江での進展知る由も無い。

ますます極地へ追い込まれ、夜行列車の窓際に、虚しさと腹を括った私が座って居た。
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パイプのジョニー

Author:パイプのジョニー
植木屋 作庭家のおやっさんのつぶやきブログです。コメントご自由にどうぞっ。

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