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人生足跡・・・青春期・・・(2)進路を決めねば・・・

我が家には商用車が有り運転手付、親父は免許も無いから運転手を雇っている。

松江の店も同じ様に販売用の車が有った、奈良の車は結構使わないで近くに停めて有る。

この車両、松江では浜田から鳥取までの国鉄各駅での販売、関西は和歌山から三重県まで、

結構商売を手がけて居たようだ。困るのは販売の手伝いは相変わらず私に周って来る。

何時まで経っても丁稚家業は続いていた。

関西の国鉄駅は大概私も知って居た、販売場所は機関区、大概広場が有り親父の目を盗み練習。

親父と同行の時は左程練習出来ないが、時折現場から電車で次の販売先へ行く事も多かった。

そんな折、運転手に無理難題で練習を頼む、当時の運転手結構私と仲が良く練習に付き合って呉れた。

当時単車に飽きた私の目の前に車が有る、親父の不在中は京終駅前の広場で練習をする。

その頃の京終駅は賑わいを増し、朝夕は市場帰りの商人や通勤、通学者で活気が有った。

駅前に水銀灯が設置され夕方から夜遅くまで灯りが煌々と、格好の練習所に成る、横は日通の広場。

夜は人気も疎ら、毎夜練習を重ねるが、間違って水銀灯に激突しポールは折れ、水銀灯は壊れる。

車と言えばバンパーとナンバープレートは折れ、ファーンまで壊れかろうじてエンジンは助かった。

当時駅前に交番、そして駅長まで出てくる始末、知り合いの警察官、無免許を問う事も無かった。

問題は水銀灯をどうするか、母親が弁済すると言うのだが、当時は悠長な物である。

駅長曰く千鳥さんは上得意、何とか国鉄で処理しましょうと言って居る、国鉄は我が家でも上得意だが、

当時はこんな物でした。そして車は急遽修理屋へ、当然親父の帰る前に修理を終え事無きに済んだが、

ナンバープレートの折れたのには親父も気が付き、その結果頭上、頬に鉄拳、その後車には乗られない。

高校卒業までには運転はお手の物、車屋でのカタログ収集に嵌り込み、欲しいとの願望だけが残っていた。

高校生活の思い出は修学旅行、これも結構やんちゃの明け暮れ、生活指導の女性教師を泣かした想い出。

当時はこんなの当り前、これが後に役に立つ事になろうとは、身近に大学受験が待っていた。

3年生からは進路の選択で就職コースと進学コースが有る、何故だか勝手に進学コースを決めていた。

当時は大学受験など考えても居なかった、ただ家を出たいが為と母親の経っての願いが有った。

地元でこのまま就職するか、関西の大学を進むにしても当時の私、悪い方向に向かうだろうと、

母親は思って居たのも事実、この事では母親と意見は同じ、但し親父の意見は無かった様だ。

本当はどうでも良いのだが、ここで困った事が有る。

勉学は殆ど進んでおらず、やきもきした母親も進学指導を探して来る、これが毎夜で困りもの。

徹夜の詰め込みが始まって、卒業までの半年間は殆ど遊ぶ時間が無かった記憶が残っている。

期末テストはカンニング、プロに近い神技でどうにか卒業可能まで持ってきた。

だが、人生最大の難門がやってこようとは!
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