
人生足跡・・・青春期・・・(3)新たなる人生の旅立ち・・・
|Posted:2012/07/29 23:13|Category : 人生足跡|
高校最後の1年間、恋に落ち込み迷いも出たが、勉学の遅れは一時凌ぎでは不可能だ。
本当は大学なんてどうでも良い、母親には内緒だが船乗りに成ろうと心の中で決めていた。
密かに船舶関係の書籍を買い、航海士の書類を取り寄せ乱読していた。
商船大学なんて不可能、日夜受験勉強よりも航海士の資格を得る為の勉強もしていた。
夢は将来に向かい、航海日誌の書物を乱読、勝手に海外へ独り歩きの空想をして楽しんでいた。
何処で分かったのか母親から責められた事が有る、それだけは辞めて欲しいと怒った母親の顔。
親父が満州へ渡り、挙句シベリヤ送り、満州から引き揚げた苦労、嫌な思いが母親には有るのか。
頑として受け入れて貰えなかったが、大学を出れば海外へ行っても良いとの約束を得、
こんな簡単な事で1時的にも船乗り希望は保留にし、取りあえず大学受験を選択する事に成る。
半ばヤケクソも手伝い、受験校はまず関西以東へ受けてやろう、勝手に決め込むので有る。
目的は只一つ、この奈良から出来るだけ遠くへ行ければそれで良い、丁稚奉公の終焉の為ならば!
卒業間近に希望の受験校は決めていた、ここが又私の一人善がり、自信と能力は反比例で有る。
担任の教師の忠告は聞く耳持たず不可能に近い受験校を勝手に決め込んで3校受験する事にした。
国鉄奈良駅から夜行列車「急行大和」に乗って意気揚々と、夢は膨らみ、東京へと向かう。
早朝東京駅で初めて入った朝風呂、今はどうか知らないが、当時東京駅中に風呂が有った。
夜行列車では顔一面ススだらけ、洗面所は立込み、親切な人が風呂が有るよと教えてくれた。
山手線の渋谷駅、駅に降り立つと何処からかカレーの匂い、自然と足が向かう、初めての都会の味。
東京での独り歩きは不安も無い、幼い頃から大阪、松江と手伝いで行かされ一人旅は慣れている。
受験は10日程、親戚の家や、先輩のアパートと、だがアパートは狭く、次はホテルでの宿泊へ、
だが金が無い、安いホテルが渋谷に近い祐天寺に有ったのだが、連れ込みホテルとは知らなんだ!
先輩の紹介とは言え、気後れもしたが値段が安い、其れに受験生と言う事も手伝って格安料金だ。
夜遅くまで参考書を読むのだが、場所がら勉強など出来っこ無い、何事においても初体験である。
半ば強引な受験、結果は解っていた、尽く桜散るのハガキ、嫌になるがここで落ち込まないのが私。
またたく間に英知を働らかせ、滑り止めに拓大の二次受験を考えここは上手に乗り越える。
恩師の親しい生活指導の女性教師、私は弱みを握っていた、東京から帰るなり相談に行く。
卒業式は目前に迫り、無事平穏に済ませたい学校側と私、どうにか学長に面談を取り付け、
最期の選択肢の推薦入学を勝ち取るのだ、卒業式の当日前後私は拓大で簡単な試験と面接を受けた。
面接時滔々と語った記憶が有る、海外へ雄飛する夢多き事、当時の面接は夢を語ればそれで良い!
夢の話だが、ブラジルへ渡り肥料会社を作りたい、結構出鱈目でも有り、半ば真剣に語った物だ。
卒業式は母親だけが出席、名前を呼ばれても当人は居ない、後々まで寂しかったと言っていた。
こうしてどうにか大学へは無事入学を果たすのだが、晩年、裏話を知る事に成ろうとは、
私の結婚式に出席して呉れた恩師がそっと私にこの裏話を語って呉れた事が有る。
実は裏で母親が両教師に日参し頼みに行って呉れたらしいが、私は知る由も無い。
今は亡き両教師には過分なる迷惑をかけたが、同窓会の折、良く可愛がって頂いた思いが残る。
ヤンチャ者だからこそ、色々な思いが有ったのかもしれないが、想い出を沢山残した高校を後に、
迷惑の掛けどうしの人生は終焉、新たなる人生の旅立がそこに待っていた。
本当は大学なんてどうでも良い、母親には内緒だが船乗りに成ろうと心の中で決めていた。
密かに船舶関係の書籍を買い、航海士の書類を取り寄せ乱読していた。
商船大学なんて不可能、日夜受験勉強よりも航海士の資格を得る為の勉強もしていた。
夢は将来に向かい、航海日誌の書物を乱読、勝手に海外へ独り歩きの空想をして楽しんでいた。
何処で分かったのか母親から責められた事が有る、それだけは辞めて欲しいと怒った母親の顔。
親父が満州へ渡り、挙句シベリヤ送り、満州から引き揚げた苦労、嫌な思いが母親には有るのか。
頑として受け入れて貰えなかったが、大学を出れば海外へ行っても良いとの約束を得、
こんな簡単な事で1時的にも船乗り希望は保留にし、取りあえず大学受験を選択する事に成る。
半ばヤケクソも手伝い、受験校はまず関西以東へ受けてやろう、勝手に決め込むので有る。
目的は只一つ、この奈良から出来るだけ遠くへ行ければそれで良い、丁稚奉公の終焉の為ならば!
卒業間近に希望の受験校は決めていた、ここが又私の一人善がり、自信と能力は反比例で有る。
担任の教師の忠告は聞く耳持たず不可能に近い受験校を勝手に決め込んで3校受験する事にした。
国鉄奈良駅から夜行列車「急行大和」に乗って意気揚々と、夢は膨らみ、東京へと向かう。
早朝東京駅で初めて入った朝風呂、今はどうか知らないが、当時東京駅中に風呂が有った。
夜行列車では顔一面ススだらけ、洗面所は立込み、親切な人が風呂が有るよと教えてくれた。
山手線の渋谷駅、駅に降り立つと何処からかカレーの匂い、自然と足が向かう、初めての都会の味。
東京での独り歩きは不安も無い、幼い頃から大阪、松江と手伝いで行かされ一人旅は慣れている。
受験は10日程、親戚の家や、先輩のアパートと、だがアパートは狭く、次はホテルでの宿泊へ、
だが金が無い、安いホテルが渋谷に近い祐天寺に有ったのだが、連れ込みホテルとは知らなんだ!
先輩の紹介とは言え、気後れもしたが値段が安い、其れに受験生と言う事も手伝って格安料金だ。
夜遅くまで参考書を読むのだが、場所がら勉強など出来っこ無い、何事においても初体験である。
半ば強引な受験、結果は解っていた、尽く桜散るのハガキ、嫌になるがここで落ち込まないのが私。
またたく間に英知を働らかせ、滑り止めに拓大の二次受験を考えここは上手に乗り越える。
恩師の親しい生活指導の女性教師、私は弱みを握っていた、東京から帰るなり相談に行く。
卒業式は目前に迫り、無事平穏に済ませたい学校側と私、どうにか学長に面談を取り付け、
最期の選択肢の推薦入学を勝ち取るのだ、卒業式の当日前後私は拓大で簡単な試験と面接を受けた。
面接時滔々と語った記憶が有る、海外へ雄飛する夢多き事、当時の面接は夢を語ればそれで良い!
夢の話だが、ブラジルへ渡り肥料会社を作りたい、結構出鱈目でも有り、半ば真剣に語った物だ。
卒業式は母親だけが出席、名前を呼ばれても当人は居ない、後々まで寂しかったと言っていた。
こうしてどうにか大学へは無事入学を果たすのだが、晩年、裏話を知る事に成ろうとは、
私の結婚式に出席して呉れた恩師がそっと私にこの裏話を語って呉れた事が有る。
実は裏で母親が両教師に日参し頼みに行って呉れたらしいが、私は知る由も無い。
今は亡き両教師には過分なる迷惑をかけたが、同窓会の折、良く可愛がって頂いた思いが残る。
ヤンチャ者だからこそ、色々な思いが有ったのかもしれないが、想い出を沢山残した高校を後に、
迷惑の掛けどうしの人生は終焉、新たなる人生の旅立がそこに待っていた。
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