
人生足跡・・・青春期・・・(5)大学生活の始まり・・・
|Posted:2012/08/20 01:05|Category : 人生足跡|
晴れて入学式、沢山の父兄同伴で学内は一杯、圧倒される私である。
大学の入学も、高校の入学式と変わらず、父兄の数の多い事、この連中が後々のバンカラか?
この大学は殆ど男子と思いきや、ちらほら女学生も見える不思議な光景がそこに有る。
大学入学くらい一人で来いや、僻み混じりで考えるが知った人間は誰も居なく寂しい入学式だ。
下校時茗荷谷駅前でやはり一人で帰る学生が居た、早速声を掛け喫茶店で話し込む。
九州佐賀県出身とか、喫茶店で他の学生達共気が合い当日で5人程学友が増える。
高校時代と違う生き方をしよう、友を選ぶには少し真面目そうが良いかな、とも考えるが。
入学当日だ、それぞれの生き方も性格もまだ解らないまま、私の友達選びは始まった。
話し込めば沖縄出身、鹿児島、秋田、北海道、それぞれ違う方言にも戸惑うが、すぐに慣れた。
真面目そうなのは最初だけ、中にはパチンコにのめり込む奴、麻雀を誘う者、どんどん変る。
当時の私は無口だが、なぜか皆に好かれて行く、まじめな友達は最初だけだった。
何事にものぼせ易い私、早速麻雀仲間が増えて行く、毎夜毎夜麻雀必勝本を乱読する自分が居た。
住まいは中野、時にはこの友達の下宿へ泊まり歩く事も有り、高円寺、野方、何時しか地理も覚え、
学生生活は順調に始まった、校内で有る時突然顎を殴られ、初めて見る先輩、突然の殴打で吃驚。
私の面構え、顎の強さに早速部活の勧誘で有る、今流の看板立てての勧誘も少なかった。
この先輩はボクシング部、手荒い入部勧誘で有る、顎に一発、根性と倒れ方を見定めて居る。
当時の私は目付も鋭く物怖じせず先方を見る癖が有る、俗に言う眼を飛ばすと言う事だ。
私の通う大学は上下社会が出来上がり、先輩に楯つく事など出来無い異様な雰囲気が有る。
私は一発で気に入られたが、先輩の鼻を見るとひん曲がっている、こんな姿は御免で有る。
嘘でも言ってやれ、もうすでに部活は決めている、空手部に入る事を告げたがこれが失敗。
先輩の中に空手部員も一緒に居たとは知ら何だ、こうして又々武道の世界に入り込む。
練習は唯もので無い、当時は全国制覇、知名度は知れ渡っており練習は想像を絶する。
夏に入ればバイトする者、帰省する者それぞれだが私は金が無い、合宿は理由付けて不参加。
母親の勧めで帰省する事にした。
帰省しても歓迎は2日程度、する事も無い、働く事には慣れてるが自宅の手伝いでは金に成らない。
やがて大阪の家電メーカー「八欧電機」へバイトに行く、確かゼネラルと言ってた記憶が有る。
「当時の日給は800円程度」仕事は商品集荷、荷作りはお手の物、年期が入って居る。
ここで当時の物価も書いておこう、確かタバコが40円、これはショートピースの価格だが、
私は高級たばこは勿論吸え無い、「新生」と言う20本入りで40円、二日は持ってたと記憶する。
コーヒーが40円程度か、贅沢にも喫茶店は毎日欠かす事が無い、雰囲気が好きだから!
話は逸れたが、時には商品配達に同行、ステレオの配達・設置は特に楽しい仕事でも有った。
御客さんの自宅で初めて聴くステレオの音声、夢中になる事当り前で有る。
晩年音楽にのめり込むキッカケはこのステレオに添付されてる2枚のドーナツ盤。
1枚目は初めて聞いた曲「二つのギター」そして「ボレロ」今でも鮮明に覚えている。
この二つの曲が後々の私の音楽の趣味に成るとは、今もこのメロディーが想いに残る。
大学の入学も、高校の入学式と変わらず、父兄の数の多い事、この連中が後々のバンカラか?
この大学は殆ど男子と思いきや、ちらほら女学生も見える不思議な光景がそこに有る。
大学入学くらい一人で来いや、僻み混じりで考えるが知った人間は誰も居なく寂しい入学式だ。
下校時茗荷谷駅前でやはり一人で帰る学生が居た、早速声を掛け喫茶店で話し込む。
九州佐賀県出身とか、喫茶店で他の学生達共気が合い当日で5人程学友が増える。
高校時代と違う生き方をしよう、友を選ぶには少し真面目そうが良いかな、とも考えるが。
入学当日だ、それぞれの生き方も性格もまだ解らないまま、私の友達選びは始まった。
話し込めば沖縄出身、鹿児島、秋田、北海道、それぞれ違う方言にも戸惑うが、すぐに慣れた。
真面目そうなのは最初だけ、中にはパチンコにのめり込む奴、麻雀を誘う者、どんどん変る。
当時の私は無口だが、なぜか皆に好かれて行く、まじめな友達は最初だけだった。
何事にものぼせ易い私、早速麻雀仲間が増えて行く、毎夜毎夜麻雀必勝本を乱読する自分が居た。
住まいは中野、時にはこの友達の下宿へ泊まり歩く事も有り、高円寺、野方、何時しか地理も覚え、
学生生活は順調に始まった、校内で有る時突然顎を殴られ、初めて見る先輩、突然の殴打で吃驚。
私の面構え、顎の強さに早速部活の勧誘で有る、今流の看板立てての勧誘も少なかった。
この先輩はボクシング部、手荒い入部勧誘で有る、顎に一発、根性と倒れ方を見定めて居る。
当時の私は目付も鋭く物怖じせず先方を見る癖が有る、俗に言う眼を飛ばすと言う事だ。
私の通う大学は上下社会が出来上がり、先輩に楯つく事など出来無い異様な雰囲気が有る。
私は一発で気に入られたが、先輩の鼻を見るとひん曲がっている、こんな姿は御免で有る。
嘘でも言ってやれ、もうすでに部活は決めている、空手部に入る事を告げたがこれが失敗。
先輩の中に空手部員も一緒に居たとは知ら何だ、こうして又々武道の世界に入り込む。
練習は唯もので無い、当時は全国制覇、知名度は知れ渡っており練習は想像を絶する。
夏に入ればバイトする者、帰省する者それぞれだが私は金が無い、合宿は理由付けて不参加。
母親の勧めで帰省する事にした。
帰省しても歓迎は2日程度、する事も無い、働く事には慣れてるが自宅の手伝いでは金に成らない。
やがて大阪の家電メーカー「八欧電機」へバイトに行く、確かゼネラルと言ってた記憶が有る。
「当時の日給は800円程度」仕事は商品集荷、荷作りはお手の物、年期が入って居る。
ここで当時の物価も書いておこう、確かタバコが40円、これはショートピースの価格だが、
私は高級たばこは勿論吸え無い、「新生」と言う20本入りで40円、二日は持ってたと記憶する。
コーヒーが40円程度か、贅沢にも喫茶店は毎日欠かす事が無い、雰囲気が好きだから!
話は逸れたが、時には商品配達に同行、ステレオの配達・設置は特に楽しい仕事でも有った。
御客さんの自宅で初めて聴くステレオの音声、夢中になる事当り前で有る。
晩年音楽にのめり込むキッカケはこのステレオに添付されてる2枚のドーナツ盤。
1枚目は初めて聞いた曲「二つのギター」そして「ボレロ」今でも鮮明に覚えている。
この二つの曲が後々の私の音楽の趣味に成るとは、今もこのメロディーが想いに残る。
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