
人生足跡・・・幼少期(4)宍道湖でのシジミ採り
|Posted:2012/04/22 02:21|Category : 人生足跡|
当時私は、託児所から出世、市内の雑賀幼稚園に通っている、上の姉は雑賀小学校5年、
下の姉は、濱乃木の乃木小学校1年生、帰宅後は、お隣で皆の帰りを待っていたらしい、
その頃、父親は、松江市内の一角で時計修理業を始めてた。
この時計店、母親が、和歌山の実家を出るときに、修理道具を持ち帰り、父の帰りを信じ、
準備していたそうである。幼稚園の帰りは何故かこの時計店へ寄るのが嫌だった様である。
私が懐かなかったのかもしれないが、父親は、なぜか一番上の姉と連れだって先に家路へ向かう。
取り残された私は、遅くまで伯父の店先で、母を待ち、雨の日も、雪の日も、母親の手を握りしめ、
通いなれ足る、裏山の床几山の近道を連れだって帰るのである。
この頃は、楽しい思い出が有りすぎる。・・・語るには、多すぎるが少しここに書いてみる。
幼い頃から、トンボ採りの名人、だったそうな・・・細い糸の両端に小石を括りつけ、
トンボ来い、トンボ来い、トンボ来いヨー・・・歌いながら鬼ヤンマを捕まえる。
低空を飛ぶこのトンボ、私にかかれば、100発100中・・・何時も自慢してたらしい!
床几山の麓にモチの大木が有りました、皮を剥がし、石で叩き粘りが出るまで、水をかけ、
ネバネバのとりもちを作り、トンボ捕まえます、近くのお兄ちゃん、良く私の面倒見てくれました。
晩秋の楽しみは、ガム作り?麦畑荒らして、麦の皮を剥いて、口一杯に掘り込んで、ムシャムシャ、
咬みますと、白い汁が出てきます、道端で、白い唾を吐きながら、チューインガムの出来上り。
腹が減ったら、イナゴ取り、飽きもせず、毎年毎年、捕まえて、醤油のタレ付、結構腹の足しに。
当時の子供達、泳ぎが出来ねば、話になりません。
泳ぎの目的は、宍道湖でのシジミ採り、母親のシゴキは、半端で無い、泣いても泣いても、
掘り投げられ、何時しか泳ぐ楽しみを覚えました、幼稚園上がる頃は大人顔負けで泳ぎます。
春先から晩秋まで、遊びを兼ね、小遣い稼ぎのシジミ採り、毎年、毎年続きましたなあ。
当時は水着も無く、パンツの両足の裾、腰に紐を付けてもらい、早い話が、ブルマーみたいな物です。
女の子は、シミーズ言いますか、腰ひも括って、シジミを入れて行く、大きなオッパイ出来上ります。
シジミをパンツの中へ取り込んで、時には潜り、浅瀬では足の指が手の代わり、器用なもんです。
重くなったパンツは、シジミが一杯、岸に上がって、この紐解きます、結構採れたの思い出す。
夕暮れ時、何時もの爺さん、籐の乳母車押して、町から買い求めに来ます。
たしか1合枡で2円程、貰った記憶が有りますわ。幼いながらも、爺さんちゃんと計ってや!
ちょっと盛り上がってるで・・・この頃から、私の商売人の道、スタートしたんかな!
当時の小遣い、自給自足が当たり前、兄弟3人で分けあい、駄菓子へ走った、記憶が懐かしい。
下の姉は、濱乃木の乃木小学校1年生、帰宅後は、お隣で皆の帰りを待っていたらしい、
その頃、父親は、松江市内の一角で時計修理業を始めてた。
この時計店、母親が、和歌山の実家を出るときに、修理道具を持ち帰り、父の帰りを信じ、
準備していたそうである。幼稚園の帰りは何故かこの時計店へ寄るのが嫌だった様である。
私が懐かなかったのかもしれないが、父親は、なぜか一番上の姉と連れだって先に家路へ向かう。
取り残された私は、遅くまで伯父の店先で、母を待ち、雨の日も、雪の日も、母親の手を握りしめ、
通いなれ足る、裏山の床几山の近道を連れだって帰るのである。
この頃は、楽しい思い出が有りすぎる。・・・語るには、多すぎるが少しここに書いてみる。
幼い頃から、トンボ採りの名人、だったそうな・・・細い糸の両端に小石を括りつけ、
トンボ来い、トンボ来い、トンボ来いヨー・・・歌いながら鬼ヤンマを捕まえる。
低空を飛ぶこのトンボ、私にかかれば、100発100中・・・何時も自慢してたらしい!
床几山の麓にモチの大木が有りました、皮を剥がし、石で叩き粘りが出るまで、水をかけ、
ネバネバのとりもちを作り、トンボ捕まえます、近くのお兄ちゃん、良く私の面倒見てくれました。
晩秋の楽しみは、ガム作り?麦畑荒らして、麦の皮を剥いて、口一杯に掘り込んで、ムシャムシャ、
咬みますと、白い汁が出てきます、道端で、白い唾を吐きながら、チューインガムの出来上り。
腹が減ったら、イナゴ取り、飽きもせず、毎年毎年、捕まえて、醤油のタレ付、結構腹の足しに。
当時の子供達、泳ぎが出来ねば、話になりません。
泳ぎの目的は、宍道湖でのシジミ採り、母親のシゴキは、半端で無い、泣いても泣いても、
掘り投げられ、何時しか泳ぐ楽しみを覚えました、幼稚園上がる頃は大人顔負けで泳ぎます。
春先から晩秋まで、遊びを兼ね、小遣い稼ぎのシジミ採り、毎年、毎年続きましたなあ。
当時は水着も無く、パンツの両足の裾、腰に紐を付けてもらい、早い話が、ブルマーみたいな物です。
女の子は、シミーズ言いますか、腰ひも括って、シジミを入れて行く、大きなオッパイ出来上ります。
シジミをパンツの中へ取り込んで、時には潜り、浅瀬では足の指が手の代わり、器用なもんです。
重くなったパンツは、シジミが一杯、岸に上がって、この紐解きます、結構採れたの思い出す。
夕暮れ時、何時もの爺さん、籐の乳母車押して、町から買い求めに来ます。
たしか1合枡で2円程、貰った記憶が有りますわ。幼いながらも、爺さんちゃんと計ってや!
ちょっと盛り上がってるで・・・この頃から、私の商売人の道、スタートしたんかな!
当時の小遣い、自給自足が当たり前、兄弟3人で分けあい、駄菓子へ走った、記憶が懐かしい。
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